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・音に心を託す
・客人が立てる音、心遣いの音
・点前の音、持て成しの心
茶の湯と音-2
静けさの音、癒しの音
露地からは蹲居(つくばい)に注ぐ水の音が微かに聞こえ、目の前には炉に据えられた釜の湯が沸く音を聞く。音の遠近と強弱のコントラストが一層の静けさを感じさせてくれる。茶人たちはこの釜の湯が沸く音を「
松風*」といい、そこに浜辺や山里に凛と立つ老松を思い浮かべ、その林を渡る風の鳴に、寂びた風情を聞き同時に自然の「いのち」の力強さに思いを馳せるのである。
静寂とは、ただ何も聞こえない状態だけではなかなか感じられないものである。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の句があるが、虫の音や風の音で改めてその静けさに気づくという経験は誰にもあるのではないだろうか。
そしてその音色が心に届くと、懐かしさや切なさという感情の琴線を振るわせ、次第に心が癒されていくのである。このような音の心理的効果が際立った時に、心が静まり静寂を鮮明に感じるのではないだろうか。
前記した
茶の湯の三音の中に「湯水を汲み入れる音」とあるが、その中でも静寂が際立つ印象的なものとして「しまい水」がある。点前の終わりに沸き立つ釜に水を一杓汲み入れるのである。すると今までシューシューと鳴っていた音が一瞬にして消える。松風がピタッと止まり、自分を取り巻いていた静けさに改めて気づかされる瞬間である。このような心に染みる静けさを体感できるのも、茶の湯ならではのことである。
沈黙という
コミュニケーションのために
静寂を旨とする茶の湯における音とは、単なる音としてではなく、茶会進行の言葉に変わる主客の意思疎通を助ける合図であったり、浄めの儀式としての一部であったり、自然を再認識する音であったりと、その一つひとつが意味のある音として存在しているのである。故に茶の湯では、場面場面で不可欠な音を聞くために、必要以外の音はできるだけ立てないようにする。
音で持て成しの心を伝え、音に互いの心を聞き、音に心を預ける…、主客がこのような念いを音に託すため、音をとても大切に扱っているのである。今ここに集う人の心と心の触れ合い、言い換えるなら言葉を超えた深い繋がりを求めて、所作の音や自然の音を巧みに取り込むことで、茶の湯は「沈黙」という独自のコミュニケーション手法を得たのである。
あえて言葉を介さないことで互いに思い合い、主客の心を一つにさせてくれる茶の湯の音。この茶の湯の音が私たちに問いかけているのは、心が触れ合う掛け替えのないひと時を共に創るという、茶の湯の精神「
一座建立(いちざこんりゅう)」そのものではないかと思われる。
現代の生活では、音で何かしらの気配を感じることや自然の音に耳を傾けることも無くなっってしまった。
また、人と人との関係も言葉によるコミュニケーションをあまりにも重視してきてしまった。忙しさの中でともすれば相手を思いやる心さえ見失ってしまう……。私たちが忘れかけている互いを思い合う心、茶の湯はその大切さを音に託し、時を超え現在の私たちにメッセージとして届けているように思えてならない。
「松風」
松は古来から和歌や能楽の題材として多く用いられている。能舞台の中央に描かれるなど、日本の美意識「侘び、寂び」の境地を表す代表的な樹木でる。同時に常緑であるため仏教では長寿の象徴(吉祥植物・縁起の良い植物)とされる。
室町時代、境では茶室を「市中の山居」と呼び田舎風の庵を建てることが流行し、茶庭には山里のひなびた風情として松が植えられた。侘び寂びの美意識を現すことや不老長寿のめでたさから、釜の沸く音を松の林を渡る風の音に見立て、寂びのき風情としたのである。松風の例えの他に「松籟(しょうらい)」というこもある。松の梢を渡る風の音を表す。
★参考文献
原色茶道大辞典 淡交社,裏千家茶の湯 鈴木宗保 宗幹(著)主婦の友社,茶の湯 わび茶の心とかたち 熊倉功夫 教育社
2011年5月 2018.4追記 佐藤 宗雄 So-U